index top 地位の構成
無断転載禁止。Reproduction Prohibited.
注:ここに記載された内容は、空亡著である小説『欲望の守護神』のための設定資料です。
すべてはフィクションであり、実在の個人・団体等にはいっさい関係ありません。
榊茂
 日蛇における最上権力者であり、最高神官。神に選ばれし奉仕者。全神官を代表して、神へと奉仕することを存在理由とする。神や媒介者と直接関わることが許される、唯一の神官である。襲名制。
 存在は公表されていない(世間的には宰神司と混同されている)。日蛇内部の伝承・伝説・定説のなかでは、神と同一視されることが多い。現在でも、上位神官には神にもっとも近しい存在とされ、下位神官には神と等しい存在としてあつかわれる(敬意により神司以下は名を発音しない。呼び方の例:御方・上様・間=無言・御神木)
 宗教理念において、日蛇はこの地位の者を輩出するために存在する。よって名目上、すべての神官は榊茂とその使命を守るために全霊を賭し、また榊茂となるべく厳しい修行に励む。
 信仰対象の神秘・神聖を保護する観点から、榊茂が神や媒介者に賜った情報のすべては、個人の記憶に封ぜられる。また時代の変化に適応するため、たとえ次代であってもそれら情報の受け渡しは禁止である。ただし、祭や神事を創作し、内に暗示する程度のことであれば許容される。
 公の儀式・祭事・祭典には、出演しない(閲覧のため出席することはある)。行う儀式としては非公開の『榊茂の選考会』および『榊茂・宰神司の神葬祭』のみ。
 権限
 神の代行者として日蛇の組織を自由に扱うことができる。日蛇(本宮・本社)が審議により決定したことを、一存で覆すことができる唯一の立場である。しかし、その権力の集中こそが没落を招きかねないため、よほどのことがないかぎり教団運営には口を挟まないようにする、という着任者内での暗黙の了解(伝統)がある。理念としては「没落させるのもまた自由」だといえるが、現実においては自らの首を絞める結果となるため、難しい。

 責任
 日蛇すべての、存在意義を負う。(定説によれば)神は、日蛇を必要とはしない。よって榊茂に求められる責任とは、その克服である。神が実在する以上、ただ祈り崇めるだけでは奉仕とはいえないからである。神に尽くし、要され、(崇めるものとして)認められること。それが元来の教義に則った姿であり、その行動には宗教団体としての存亡がかかっている。
 この重責の前には、どのような怠慢(体調不良や精神薄弱ふくむ)も禁止とされる。ことストレスから陥りがちな常人としての欲求(快楽・権力・名誉・金銭・家族愛・血族愛・偏愛)にかまけることは、(過去の例からして)神から任を解かれることに繋がりかねないとされている。
 万一、神から役立たずと評された場合、その者は一切の権利・権力を剥奪される。榊茂であったという記録は消し去られ、良いところ五体満足での追放か幽閉(日蛇あるいは親族元)、悪くすれば四肢を落とされての幽閉、あるいは殺害される。
 そうした判断は神が下すことから、大変に困難な使命だといえる。人間の価値基準が通用せず、理不尽とも思える決定が下される可能性がある。重責と、そうした結果を恐れて、斎司・宰神司にとどまろうとする者も多い。しかし歴史的にみて、特殊な理由(それまでの榊茂の肉体破損・死)で負わされることも皆無ではない。

 選抜傾向
 飽くなき奉仕のため、神へ耽溺していること。神を喜ばせるため、一芸に秀でていること。重圧に耐えうる肉体と精神を有すこと。行動に勢いがあり、本人に強い意志(やる気)があること。
 教団が候補を選び、最終決定は神が下す。神が不在(現存しない)時には、斎司以上の地位にある者らの投票で選ばれる。

 支援要員
 広義によれば日蛇の神官すべてだが、直接的には宰神司。

 引退
 榊茂本人が決定する。神に申し出て受理され、選考会で次の榊茂が任命されれば、引退できる。
 その後は『先代』という名目で呼ばれる。基本的に働く必要はなく、権力もない。しかし、教団からは榊茂と同等に敬われる。神と媒介者の正確な情報を知り自身の見解を述べることができるため、榊茂の相談役とされる(ただし、自身の在籍中の情報を与えることは不可)。
 また、先代(存命なら先々代も)は、榊茂の強制力の外にいる唯一の神官となる。神だけが命ずる権限をもつ。

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