index top 本宮の構造
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注:ここに記載された内容は、空亡著である小説『欲望の守護神』のための設定資料です。
すべてはフィクションであり、実在の個人・団体等にはいっさい関係ありません。
木造アイコン 木造建築全般
 日蛇神社の社殿は、どれも建築という観点からみると、非常に厄介な代物である。おりおりに部分的な修造、あるいは古材を使っての再建が行われた結果、個々の社殿の年代を判定するのが大変な困難となってしまった。まず、年輪年代法〈木材の年輪幅の推移から伐採年代を計る方法〉での判断が不可能となった。では、と様式史に当てはめようとすると、蟇股・組物には平安末から鎌倉期、かつ花狭間格子戸は室町とした具合に、混入がいちじるしい。それなら文献を、と思ったところで神秘主義の日蛇は、社伝の非公開部分を明らかにしたがらない。そうなればもはや基準とするものが、なにも得られないからである。
 そもそも日蛇には、伝統や歴史を守ろうとする気概が薄い。形式的に古風なのはファッションの一部……とまで言うと語弊があるかもしれないが、イメージ戦略のためという印象がある。神事・祭事がときに更新されることは有名だが、社殿においても同じで、近年ではなんと全ての社殿を鉄筋コンクリート製にしたらどうか、という論議が大真面目に交わされたというから、恐ろしい限りである。多くの信者と、伝統技術の保持を願う麓・五都木市の住人からの猛反対と懇願により、辛くも今の木造建築が残されたというわけだ。
 それで念のため、修造にかかわった宮大工たちにも話を聞いてみた。するとやはり、秘録とされる古い図面は存在し、それをもとに修理案は練られる、というではないか。こちらとしては色めき立って、それらに年代は記されていないか、あるいは基礎にかかわる細かな構造などから時代が推測できないか、と尋ねずにはいられない。ところがだ。彼らもやはり日蛇の信者、あるいは日蛇の不興を買いたくない者たちなのだ。なにしろ、いまだ五都木市の経済の要をにぎるのは日蛇である。その『お社さん』が表にしないものを、自分たちが喋るわけにはいかない――。そんなわけで、みな申し合わせたように一斉に口をつぐんでしまう。
 最近では、よもや要注意人物として私の顔写真が出回ってはいないだろうかなどと、いささか本気で案ずるしまつなのである。

――「神社としての日蛇」著者:今村忠彦

>日蛇の見解