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無断転載禁止。Reproduction Prohibited.
注:ここに記載された内容は、空亡著である小説『欲望の守護神』のための設定資料です。
すべてはフィクションであり、実在の個人・団体等にはいっさい関係ありません。



 日蛇の祭は華やかなことで有名だが、ご存知のとおり、史実としての検証に値しないことでも有名である。なにしろ祭そのものが、まったく別物とすげかわる。あるいは楽曲、編成、伝説だけが更新される。また、それらの記録は門外不出であり、非公開である。こうなると価値以前の問題だろうか、たとえ検証したくともお手上げだろう。それで研究者の間では、「日蛇の祭事は神事にあらず、伝統芸能を名乗るにも劣る」「客寄せ神事、人気取り祭、布施待ち式典」などという中傷もよく耳にする。
 だが、本当にそれだけだろうか。すこし考えてみてほしい。人気や布施をとるためなら、芸能舞台として公演したほうが良かろう。日時にしても二十四節気に準じたりせず土日祭日に行い、客数をもっと多く確保して、雨天でも中止にしないほうが、ずっと能率があがるというものだ。ところがそうせずに、あくまで神に捧げ奉るものとして行われる。
 その更新の理由を、神官にたずねてみよう。すると、「神様がおられるのは太古でなく現代であるから、祭も、今の仕様に合わせるのが正しい奉り方」という答えがかえってくる。それが手段として、“正しい”かどうかはともかく、宗教として間違いではない。なぜなら、つねに変わりつづけるのが信仰というものだからだ。あらゆる宗教が、習合、分離、利潤、継承あるいは時代による新解釈、権力者の需要、政治圧力での曲解などをうけて変わりつづけている。そこからすれば日蛇も、少しばかり変化がいちじるしいだけで、不当とまでは言えないことになる。しかも、そこにある精神は変わらぬ神への献身である。神官らは、めまぐるしく変化する祭を正しく成すために、一丸となって日々辛い修行に励む。自身の芸のためでなく、ただ神を奉るためだけに。
 さすれば、傍目にはただの客寄せとしか思われないリメイクや差し替えも、なにかしらのルールに則っていると考えるべきなのだ。先のとおり公開されない資料は多く、そこには古い祭の記録もある〈げんに必ず神官の録画席がある〉。つまり更新とは、その資料から改めて現代風の解釈を得て、行われると考えるのがよい。元来の厳しい戒律から、神秘の領域を犯さぬために、そういった表現しか許されないのだろう。
 しかし、行われる舞踏や楽は、そのおしみない献身のため超一流である。鑑賞するにも見応えがあり、じつに絶大な人気がある。もとは神のためだとしても、信者や観光客などにも僅かながら公開されているのだから、そうした人心へと配慮してもいいはずだ。たとえばその舞や楽に、きちんとした解釈が加わったとしたなら、よりいっそう感慨深くなるだろう。だからこそ、研究者としては文句のひとつも言わざるを得ないのだ。なにも日蛇の歴史をほじくりかえして難癖をつけようとか、面白おかしく暴露しようとかいうのではない。史学として正しい分析をと、望んでいるだけなのである。かくいう私も、せめてもう少し協力してもらえないものかと、取材のたびに不満をもらさずにはいられない。
 ともあれ、気を取り直して分析に移ろう。
 日蛇の祭の中で、まず初めに考察すべきなのは、雨水祭である。なぜならこの祭こそは、日蛇がみずからの成立を唱えている祭だからである。調べ得るかぎりでは、この祭がもっとも古くから演じられ、かつ、おおよそ内容の変化がない。伝説をかいつまむと、こういった筋書きである。
 かつて天人とその娘が、聖山には暮らしていた。そこに出入りしていた人間が、やがて娘を奪い合い、殺してしまう。天人は鬼となり人々を皆殺しにする。そののち天人は霧散する。この塵から生まれた者が、日蛇神社を創った――。
 これが本当に創始の物語かどうかはさておき、注目するべきなのは、人員の入れ替わりである。日蛇は、現在のように山と麓が一体化した信仰をなすまでに、掃討に近い仕打ちを受けた、あるいは成した可能性がある。新しい信仰とは、古い信仰からすれば目の仇にされて当然だ。かつてキリスト教やイスラム教、仏教でおきたような紛争が、このあたりにも起きたに違いない。当時、信仰の中核をなしていた人物〈おそらく創始者〉は、その争いによって殺されたのだろう。社や集落は荒れ果てたろうが、後継者はこの土地を捨てなかった。あらためて社を築くと、今度こそぬかりなく麓をも勢力下におさめた。以来、この地は日蛇によって支配されることとなり、それは今もまだ続いている。


 ――中略――



 こうして書き出してみれば、日蛇の祭で中核となる人物は、三人か、それ以下であることに気付く。これを「日本人は三という数が好き」あるいは「物語を構成するのに手頃な人数」ととらえてもよいのだが、神事のほうと照らし合わせてみると、面白い傾向が浮かび上がってくる。公開されている資料のなかで、名のある神を探すと『創顕神(つくりあらわしのかみ)』『奪魂神(うばいしみたまのかみ)』『守幽神(まもりかくりしのかみ)』。つまり三神なのである。また各神は融合したり分離したりするらしく、創顕神と奪魂神が数のうえではイチとされたり、創顕神から奪魂神や守幽神が生まれたり、守幽神が半分に割れて創顕神と奪魂神が現れたりする。いかにも神話らしい摩訶不思議さだが、しかし、これを祭のほうに反映させてみると、割合に無理なく当てはまるから、是非ためしていただきたい。鬼、神、幽霊、精霊、賢者といった者たちが、太古ではいずれかの神にあたり、なにかを暗示している――。
そう考えるだけで解釈の幅が、ずっと広がるにちがいない。
 ただ、この神々の名称だけをひろって、他の宗教と混同するのは、よろしくない。とくにヒンドゥー教は三大神〈ブラフマー神・シヴァ神・ヴィシュヌ神〉であるから、見ようによっては大変に似ている。だが、こうした要素〈創造・破壊・保護あるいは維持〉は、宗教界においてありがちなものである。しようと思えば、あらゆる宗教で同義が可能だろう。だからこそ、史実にない混同は控えねばならない。そうでないと、これまで日蛇が培ってきた独自性、いわば土着の信仰が、世界的規模の宗教観に駆逐されかねないからである。

――「日蛇〜祭の歴史を紐解く〜」著者:今村忠彦

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